湿し水の動向

光陽化学工業株式会社 開発部 福島利光

1:はじめに


 湿し水とは平版印刷において親油性の画線部と親水性の非画線部を明確に区別するために版面上での濡れ性向上を目的とした低い動的表面張力、適度なインキ乳化性、印刷版の整面性などの機能を持った希釈済みの循環使用水であり、それに対し、エッチ液とは上記目的を達成するために、処方された濃縮液で、原水(水道水、地下水)に対し1~5%の濃度で添加される機能製品で、動的表面張力の調整助剤としてのIPA(イソプロピルアル

コール)と併用される場合もある。

その湿し水の課題としては近年の環境問題からIPAの削減が大きな問題となっている。
オフセット印刷において1970年代から連続給水機構が導入され、立ち上がりの速さ、給水量の安定性等で印刷品質の向上と高速化に貢献している。開発当初の連続給水機構はIPAの使用を前提に設計されたものであった。
IPAは労働安全衛生法あるいは消防法
の規制を受ける化合物なので印刷業界ではその削減要望が高まり、印刷機メーカーによる装置上の改善、薬品メーカーによるノンアルコール湿し水エッチ液の開発で減少傾向にある。

しかし、近年のインキ組成の変化(大豆油インキの増加等)、再生紙、多色両面印刷機、CTPの増加等印刷環境は著しく変化している。

これらの印刷環境の変化への対応、さらに、最近、社会問題化している地球環境への配慮等を考慮すると湿し水エッチ液の更なる高機能化が要望されている。

本稿では湿し水の概略について説明し、上記課題に対する対応を詳述する

2:エッチ液の機能と役割


 エッチ液の成分はメーカー各社によりさまざまであるが、主には以下のような配合となっている。
エチレングリコール系やプロピレングリコール系の溶剤が20~60%含有して
いる。
この成分はIPAが持つ機能の一つである動的表面張力を補う役割をはたす。

また、インキ乳化調整剤として界面活性剤が1~5%含まれており、適正乳化を維持するために重要な成分で各メーカーのエッチ液の特徴を左右する成分でもある。つぎに、リン酸やクエン酸等またその塩が1~5%含まれている。

これらは、非画線部のインキ汚れ抑制と同時に親水化を維持する機能を合わせ持つ。

これ以外に一時停止時の版面保護作用などの目的で水溶性樹脂が1~5%、その他として防腐剤、消泡剤、防さび剤が微量配合されている。


2-1:動的表面張力(給湿液効率)


 印刷速度を15000回転/時間とした場合、各ユニットの紙の通過時間は0.24秒となる。
さらに、版面に新たに水が供給されインキに接触するまでの時間はその1/10以
下であり、水膜を安定化するには1/100秒以下で達成しなければならないと想定される(図1)。

最近のエッチ液は、さらなるノンアルコール化要求に応えるため、図2に示したようにA→B→C と動的表面張力を下げたものが開発される傾向にある。

図2 エッチ液、添加液の動的表面張力

2-2:インキ乳化の適正化


 版面上の水膜を動的表面張力の能力により極限に少なくできたとしても、インキ中に分散した水滴(乳化水)が均一で安定化されていないと印刷中に汚れやインキ濃度変化として現れる。印刷時インキ中の乳化水の様子を模式化およびパターン化すると図3のようになる。

 パターン①は乳化水量が少なく比較的大きい粒径の水滴が多い場合で、部分的着肉不良やシャドウ部の絡み発生が原因で濃度アップしづらい。パターン②は乳化水量は適度だがインキ中から排出されにくい極小径の水滴が多い場合で、印刷立ち上がりは安定しているが、ロングラン時に過乳化し汚れやすくなる。パターン③は乳化水量が適度で均一な粒経の水滴が均一に分散している場合で、この状態の時が最も安定した印刷が可能となる。

 乳化水の均一化および含水量を制御できる界面活性剤の選定、配合が新世代エッチ液開発の生命線となる。

2-3:印刷版の整面作用


 湿し水を循環使用していると、印刷枚数が多くなればなるほど、インキや紙から溶け出した成分により版面が汚れやすくなる。

 また、印刷中に版表面はインキローラーやブランケットと30℃前後の環境でかつ高速で接触し続けるので、親水性を維持し難くなる。

 エッチ液に配合されている酸や塩は、インキ汚れを非画線部から除去、および親水性の変化を修正する機能をもっている。


2-4:その他の機能


 腐敗による湿し水の性能劣化や悪臭防止、消泡剤添加による水舟や循環タンク内の泡立ち防止、

 機械部品の防さび機能が付与されている。また、近年では循環濾過装置への対応能力も機能の一つとなりつつある。

3:最近の動向


 近年、大豆油インキへの移行、再生紙、多色両面印刷機の増加、CTPの増加やノンプロセスプレートの開発等の版材の変化などの印刷環境の変化と地球環境への配慮が大きな課題となっている。その課題と対応について説明する。


3-1:インキの変化


 1990年代後半から資源の有効利用と環境問題から大豆油インキ、ノンVOCインキ等が実用化され、現在では油性インキの主流となりつつある。

 開発当初、これらの環境対応型インキは乾燥速度が従来型インキよりやや劣る傾向があったが、現在ではその部分も改善されている。セット速度向上の対策としては高給湿液効率のエッチ液により、湿し水の供給量を最大限に減らし、乳化の抑制で対応したケースもあった。

 現在の湿し水エッチ液の設計においてはこれらの経験から給湿液効率を重視する傾向がある。


3-2:多色両面印刷機への対応


 近年、短納期化、高い生産性、設置面積の効率等から8色以上の両面機が増加傾向にある。

多くのメリットがある反面、紙は8回湿し水の影響を受けるので伸縮による見当精度の低下が技術課題となっている。

 多くの多色両面印刷機では湿し水の影響による見当制度の低下の対策としてブランケット上の余剰水分を送風によって除去する機構が装備されている。しかしながら、場合によっては、その影響により版面水量の増量措置が推測され、結果として、過乳化トラブルが発生することも考えられる。

 この現象に対するエッチ液の対策としては版面とブランケットの間における湿し水の分配に方向性を持たせる。

 すなわち、版面では必要十分な水量であるが、その水がブランケットに転移しにくい物性を付与する構想があるが、現在のところ、実現していない。


3-3:環境問題(VOC対策)


 VOC(Volatile Organic Compounds、揮発性有機化合物)は大気汚染の原因として抑制が要望され、改正大気汚染防止法において印刷業界でもオフ輪、グラビア工場は規制の対象となっている。また、業界においては日本印刷産業連合会のグリーンプリンティング(GP)認定制度や環境保護印刷協議会(E3PA)のように自主規制運動が進行している。いずれにしても、社会性を考慮してVOCの削減努力は急務となっている。

 このような状況において湿し水ではIPAのより一層の削減が重要である。

そのためにも薬品メーカーとして湿し水エッチ液の機能、性能の向上が急務である。

 また、2:湿し水の機能と役割で紹介したように現在のノンアルコール湿し水エッチ液にはアルコール代替物質としてグリコールエーテル系の化合物が添加されている。この添加剤についても難揮発性物質への転換が必要と考える。


3-4:グレージング


 グレーシングとは硬化インキ、紙のコーティング剤、アラビアゴム等の水溶性樹脂成分、湿し水エッチ液中の電解質そしてゴミなどの細かい物質がインキローラー上に堆積しローラーのインキ着肉を低下させる状態を云う。進行するとローラーストリッピングの原因ともなる。最近の印刷においてはグレージングに係わる問題発生の頻度が増加傾向にある。

 原因についてはインキの変化、再生紙の増加、IPAの削減に伴う湿し水エッチ液の高濃度添加等推測されるが明確には解明されていない。

 対策としては過乳化の抑制と原因物質を削減した湿し水エッチ液の使用となる。


3-5:版材の変化


 印刷版は1990年代からCTPが登場し、現在も増加傾向にある。また、最近は現像工程を必要としないノンプロセスプレートが実用化されている。版材の変更により砂目が変化し、より保水性の良い湿し水が要望されている。

 また、場合によっては、従来のPS版と比較して画像部の耐溶剤性が低下しているため、湿し水として画像影響への改善要望もある。

 さらに、CTP化の流れの中でFMスクリーニングが進行し、微細網点の再現が重要となり、湿し水はより絞る必要性が発生している。

 これらの課題については現在、解決方向にある。

4:おわりに


 IPAの削減は印刷会社、印刷機メーカー、薬品メーカーの努力により、着実に進行している。

 しかし、完全に排除された状態に至っていない。

 また、オフセット印刷は今後も発展し、技術革新により、材料面で新たな対応が要望される局面も予測される。

 さらに環境対応を目指し、材料の安全化が要望されている。

 私共、薬品メーカーとしては技術開発に精励し、より高品質な製品の提供に努めていきたい。


【参考文献】

 オフセット印刷技術,オフセット印刷技術研究会,2005 年 10 月

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